責任と人生の重み

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「お前人生の階段駆け上がってるよな」

去年の11月、僕が大学院を辞めて東京に来る前の僕に友達が言ったセリフです。まあ心当たりがないわけでもなくて、大学辞めて就職、彼女を連れて東京に出てくる。彼女を連れてくからにはご両親にも挨拶しておかないとと思って挨拶をする。

確かに同世代で大学に一緒に行っている界隈で見ると

「彼女もいなかった男が彼女ができて就職して結婚前提で東京に連れて行く」

みたいなのは駆け上がっているように見えるんだろうなと思います。個人的には実感があまりないのですが……

仮に人生の階段というものがあって、自分が駆け上がっているとしても、自分自信はさほど変わらないのでしょう。ここ1年で環境がガラリと変わったにしては、精神的には未熟なままだと思っています。

「大人の階段」と「精神の階段」は全く別物なんですね。

責任感だとか、頼りがいみたいなものが僕にはまだ足りないです。それは多分、いままで責任が乗っかるみたいな経験をあまりしていないから。仕事でもなんでもいいんだけど、最近前田さんが言ってる「ひりひりする」ような感覚に近いと思います。

最近、どっかの会社が結婚してたり子供がいる人は優遇する。責任感が違う。みたいな発言をして燃えましたが、一部正しいと思うんですよね。確かに結婚していたり子供がいる人はある種の責任を負っているわけで、責任感があることの担保に少なからずなっているとは思うのです。

もちろん責任感を養う方法は世の中に五万とあるので、結婚していないから子供がいないから責任感がないと扱うのは全くの間違いですが。(そういう言い方をしたからあの会社は燃えたんだと思っています。

今まで僕は、軽ければ軽いほうがいいと思っていました。背負うものが少ないほうが楽だし動きやすい。事実そうだとは思うけど、それだとやっぱり発言や存在に重みが出ない。重みがないと影響力がない。もっと自分の影響力を上げていくべきだし、そうすることで社会のためになると思っています。

そういえば「喰う寝るふたり、住むふたり」という僕の大好きな同棲漫画があるんですが、

猫を飼いたい理由として

30を前にしてまた何かに責任を負ってもいいかと思ってるんだ

引用元:喰う寝るふたり住むふたり

というセリフがあって、「ああ、今の自分も責任を負いたい時分なのかもしれない」と少し共感をおぼえています。

そろそろ背負うものを増やしていっても良いんじゃないかと思う今日このごろです。